「弘前神明宮」とも呼ばれる神明宮は,JR(奥羽本線)弘前駅の北北西2キロメートルに鎮座する。
創立年代は不詳であるが,津軽為信(藤原為信,初代藩主)が篤く崇敬し,慶長七年(1602)に堀越城内に奉斎した。
現社地の南東6.2キロメートルで,「堀越城跡」(弘前市堀越柏田)として保存されている。
慶長十六年(1611),二代藩主の信枚が城を高岡城(現在の弘前城)に移すのにともない,当社も城内に移転した。
さらに寛永四年(1627)に現在地(弘前城の鬼門にあたる)に移転した。
かつては「伊勢宮」あるいは「大神宮」と称された。
祭神は天照大神で,相殿で保食大神を祀る。
明治六年(1873)に郷社に列せられ,同十三年(1680)に県社に昇格した。
拝殿の背後に比較的大きな本殿が建っている。
いくつかの境内社が祀られている。
稲荷神社と薬師宮。
薬師宮は目の神様として信仰されている。穴のあいた石を奉納するようである。
御志羅様(おしらさま)は青森や岩手で信仰されている神である。
女の病気の治癒を祈願する神,目の神,子供好きの神など,さまざまな伝承がある。
「絵馬堂」には「天照大神宮」の額が掛かっている。
(青森県弘前市東城北2丁目)
2017.6.27