現人神社(あらひとじんじゃ)は,JR(日田彦山線)採銅所駅の北西800メートルに鎮座する。
初め都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)を祭っていたが,中世になって香春岳城の城主であった原田五郎義種(はらだごろうよしたね)が合祀された。
ツヌガアラシトは意富加羅国(おほからくに;朝鮮半島南部)の王子である。『日本書紀』巻六(垂仁天皇)に,次のような説話が記録されている。
ツヌガアラシトが飼い牛を見失い、探したが、既に食べられていた。
牛の代償に白い石をもらい、家に置いたところ、それが美しい乙女になった。しかし乙女は逃げ、海を越えて日本国に行き、難波・豊後の比売語曾(ヒメゴソ)神社の神となった。ツヌガアラシトも乙女を追って日本に来た。
現在,大分県の姫島には比売語曽神社が,大阪市中央区高津の高津宮境内には比売古曾神社が,また東成区東小橋に比売古曾神社が,それぞれ鎮座する。
また,『古事記』中巻(応神天皇)にもよく似た話が見える。
新羅国王の子の天之日矛(アメノヒボコ)が赤い玉を手に入れたが、それが美女に変わり、二人は夫婦となった。
ある時ヒボコが妻を罵ったので妻は「自分の祖国に帰る」と言い残して日本に渡り、難波の地に留まった。これが阿加流比売(アカルヒメ)である。天之日矛も渡来したが妻に会えず、但馬に住んでその地の娘を妻とした。
今,大阪市平野区に赤留比売命神社(あかるひめみことじんじゃ)が鎮座する。
『古事記に』よれば,天之日矛の子孫が,かの神功皇后である(参考:天之日矛の系図)。
つまり当社は,朝鮮渡来の神を祭る神社である。当地で発達した採鉱や金属加工の技術を担った渡来人の信仰と関わりがあるのかもしれない。
横に広い石積みのうえに社殿が建っている。
拝殿の背後に,流造の立派な本殿がある。
もう一柱の祭神,原田五郎義種(はらだごろうよしたね)は香春岳城の城主で,永禄四年(1561)に豊後の大友宗麟(1530-1587)に攻められて自刃した。その後,この地に疫病が流行したが,「ツヌガアラシトのもとに鎮まり,猿を使いとして万民を救う」との神託があったため当社に合祀した。
原田義種の霊と猿のかかわりから「お申様(おさるさま)」とも呼ばれ,親しまれている。旧十月初申の日が大祭である。
本殿脇には,狛犬と並んで猿の石像が置かれている。
本殿の横には貴船社と須佐社が祭られている。
石狛犬(明治四十四年)は,二の鳥居の近くに置かれている。
(福岡県田川郡香春町大字採銅所)
2010.2.12