諸国神社めぐり

御勢大霊石神社(小郡市大保〈おおほ〉)

御勢大霊石神社二の鳥居
御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)は,西鉄(天神大牟田線)大保駅の東600メートルに鎮座する。
広い車道に面した鳥居は「二の鳥居」で,参道の始まりはもう少し手前の集落の中にある。
当社は『延喜式』(神名帳)に載せる「御勢大靈石神社」(筑後國御原郡)である。
社伝によると,神功皇后二年(三世紀?)の創立という古社で,仲哀天皇(足仲彦〈たらしなかつひこ〉)を祭神とする。
明治六年(1873)県社に列せられた。
仲哀天皇は筑前の橿日宮(香椎宮)で崩御したが,皇后は変事を隠し,仲哀天皇の鎧と兜を石に着けて「御形代」(みかたしろ)とし,朝鮮半島征伐に臨み,勝利した。
凱旋後,皇后はこの地で石を祭った。これが当社の発祥である。(以上は境内の由緒による。)
主祭神の仲哀天皇(足仲彦大神)のほか,天照皇大神,八幡大神,春日大神,吉富大神を副祭神として祭っている。

御勢大霊石神社三の鳥居
仲哀天皇殯葬の場所仲哀天皇殯葬の場所にある霊石
「史蹟 仲哀天皇殯葬傳説地」の石柱の背後の玉垣の中に「霊石」が立っている。
ここに仲哀天皇の剣と衣も納めれらており,「御本體所」(ごほんたいしょ)と称する。
一説に,熊襲征伐のおり仲哀天皇がこの地で崩じ,皇后がここで密かに殯葬(埋葬の前にしばらく柩を安置する儀礼)したという。
前掲の「由緒」の説と「殯葬」の伝承は矛盾するが,詳細は不明。
また『式内社調査報告』には「いまも御神體として靈石を本殿に奉持してあるとのことである」とあり,拝殿前の石は「霊石」ではないのかもしれない。
御勢大霊石神社拝殿御勢大霊石神社本殿
御勢大霊石神社拝殿彫刻御勢大霊石神社拝殿彫刻御勢大霊石神社拝殿彫刻
拝殿の唐破風の中央が開いており,奥の彫刻が良く見える。

御勢大霊石神社境内の粟島神社御勢大霊石神社境内の成末神社御勢大霊石神社境内の秋葉神社御勢大霊石神社境内の牛天神社
境内に粟島神社(少彦名命)の社殿,秋葉神社(火之賀具土神)と牛天神社(保食神)の石祠,成末神社(御勢大霊石大神の荒御霊)がある。
『式内社調査報告』には「末社に粟嶋神社。ほかに八幡大神と天滿宮の小石祠がある」とあり,現状と異なる。「牛天神社」の札のある祠は天満宮かもしれない。

御勢大霊石神社一の鳥居
二の鳥居の手前,80メートルほどに一の鳥居と「縣社 御勢大霊石神社」の石標がある。

(福岡県小郡市大保1032)
2016.6.16


福岡神社めぐり