諸国神社めぐり

総社神社(前橋市元総社町〈もとそうじゃまち〉)

前橋市総社神社社頭
総社神社(そうじゃじんじゃ)は,JR(上越線,両毛線)新前橋駅の北西1.5キロメートルに南面して鎮座する。
崇神天皇の御代,皇子の豊城入彦命が東国平定の命を奉じてこの地に至り,経津主命と親神の磐筒男命,磐筒女命を合わせ祀ったのが当社の起源と伝える。
安閑天皇の時に社殿を改築してより「蒼海明神」と称した。
平安時代,上野国司は国内十四郡の神社を巡拝奉幣する任に当たったが,その労を省くために上野国内の549社を一括して当社で祀ることとなった。社号「総社」の由来である。
初め,現在地の北西300メートルの地(今の宮鍋神社がその故地であるという)に鎮座したが,永禄年間(1560年頃)に兵火によって焼失し,現在地に遷宮されたと伝える。
前橋市総社神社拝殿前橋市総社神社拝殿扁額
拝殿(入母屋造,千鳥破風付)は,天保十四年(1843)の再建で,前橋市の重要文化財に指定(平成五年)されている。
前橋市総社神社拝殿装飾(左)前橋市総社神社拝殿装飾(中)前橋市総社神社拝殿装飾(右)
宮大工は総社の関谷出雲守,彫刻は熊谷の長谷川源四郎である。
細部の装飾がすばらしい。
拝殿の脇障子拝殿の扉(左)拝殿の扉(右)
拝殿の脇障子と正面扉。

前橋市総社神社本殿前橋市総社神社本殿
本殿(三間社流造,柿葺)は慶長年間(1596-1615)の造営で,桃山時代の様式を残す貴重な建造物である。
昭和三十八年(1963),群馬県の重要文化財に指定された。
2009年から2013年の保存修理工事を経て旧時の姿を取り戻した。

前橋市総社神社境内
本殿の背後に,石祠や石塔が並んでいる。

(群馬県前橋市元総社町1丁目31-45)
2017.1.25

上野国総社神社 -- 公式ホームページ


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