諸国神社めぐり

天満宮(盛岡市新庄町〈しんじょうちょう〉)

盛岡市新庄町天満宮社頭
天満宮は,JR(東北本線)盛岡駅の東2.5キロメートルに鎮座する。
創立時期は不明。盛岡城築城当時は四ツ家と寺町の間(盛岡城跡の北方)に鎮座したという。
その後,何度か移転し,延宝七年(1679)に現在地に遷座した。
社地である丘は,室町時代に斯波氏(守護大名)の家臣が居城とし,後に盛岡藩の家臣の三上氏が館としたという。
明治以前は隣接する安楽寺が管理していたが,神仏分離令によって廃寺となり,当社は荒廃に瀕した。
明治七年(1874),豪商の中村治兵衛らによって再建された。その後は中村家や盛岡菅公会によって維持されている。
当社は石川啄木(1886-1912)がしばしば訪れた場所としても知られる。
盛岡市新庄町天満宮参道
盛岡市新庄町天満宮拝殿盛岡市新庄町天満宮拝殿扁額
盛岡市新庄町天満宮本殿盛岡市新庄町天満宮本殿

盛岡市新庄町天満宮境内の平安稲荷社
平安稲荷社の創建の経緯は不明であるが,天満宮の摂社として祀られて来たという。
盛岡市新庄町天満宮境内の鹿島明神祠
石祠は鹿島明神祠である。
寛文元年(1661),南部重直公(盛岡藩第二代藩主)が,盛岡城に祀られていた鹿島明神の御旅所として花垣館跡に社殿を建立した。
明治四年(1871)に社殿を焼失し,石祠と要石(かなめいし)のみ残った。平成十四年(1681)に現在地に遷座した。

盛岡市新庄町天満宮境内の狛犬(吽形)盛岡市新庄町天満宮境内の狛犬(阿形)
参道の石狛犬は,石川啄木の「葬列」という小説に登場する。明治三十六年(1903)に近在の高畑源太郎が病気平癒のお礼に奉納したという。
盛岡市新庄町天満宮境内の銭湧石
参道の脇に「銭湧石」と呼ばれる巨石がある。かつて亀裂から無数の古銭が掘り出されたという。
亀裂には梅が自生し「石割梅」と呼ばれている。

(岩手県盛岡市新庄町5-43)
2017.6.28


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