諸国神社めぐり

錦天満宮(京都市中京区中之町〈なかのちょう〉)

錦天満宮参道
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は,四条河原町交差点の北西200メートルに鎮座する。
祭神は菅原道真公である。
当社は,大宰府で薨去した道真公を弔うために建てられた歓喜寺の鎮守社(天満宮)として創建された。
歓喜寺は道真公の旧宅跡(上京区烏丸通下立売下ル堀松町)に建てられ,後に移転して「歓喜光寺」と改称した。現在,歓喜寺の跡地に菅原院天満宮神社が鎮座する。
応仁の乱(1467-1477)の後,歓喜光寺と天満宮は別の場所に移転したが,天正十五年(1587)にともに現在地に移転した。
移転後の天満宮は,地名によって「錦天満宮」と呼ばれるようになった。
明治になって寺と神社が分離され,後に歓喜光寺は別の場所に移転し,天満宮だけが残った。
錦天満宮拝殿正面錦天満宮拝殿内部
錦天満宮本殿錦天満宮社号額

本社のほかいくつかの境内社が鎮座する。
錦天満宮境内の塩竈神社
塩竈神社は源融公(みなもとのとおるこう)を祀っている。源融は嵯峨天皇の皇子で,光源氏のモデルとされる。
道真公を弔う歓喜寺が移転した場所は源融の邸宅の跡地であった。その縁で創建された神社であろう。
その後,天満宮とともに移転して現在に至る。

錦天満宮境内の日之出稲荷神社
塩竈神社の隣に日之出稲荷神社がある。祭神は倉稲魂命である。

錦天満宮境内の白太夫神社
白太夫神社(しろたゆうじんじゃ)は度会春彦(わたらいはるひこ)を祭神とする。
道真公の父の菅原是善は,長男と次男を相次いで亡くし,伊勢神宮外宮神官の度会春彦をたよって豊受大御神に祈願して道真公を授かったという。
その縁で,春彦は道真公の守役として道真公に終生仕えたとされる。「白太夫」の称は,春彦が若白髪であったことに由来するという。

錦天満宮境内の七社之宮
七社之宮(ななしゃのみや)には八幡神社(応神天皇),床浦神社・竃神社(竃神),市杵島神社(市杵島姫命),熊野神社(伊弉冉尊),恵美須神社(事代主神),事比良神社(大物主神,少彦名命)が祀られている。

(京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537)
2019.3.8
錦天満宮(公式サイト)


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