諸国神社めぐり

戸隠神社奥社(長野市戸隠〈とがくし〉)

戸隠神社奥社社殿
戸隠神社(とがくしじんじゃ)の奥社(おくしゃ)は,JR(北陸新幹線)長野駅の北西18キロメートル,戸隠山(1,904m)を見上げる標高約1,350メートルの山深い場所に鎮座する。
社伝では,孝元天皇(第八代)の時に創建されたといい,また修験僧の学問行者(がくもんぎょうじゃ)が嘉祥二年(849)に築いた伽藍が当社の発祥ともいう。
『古事記』に有名な一節がある。

日の神であるアマテラスが弟スサノオの乱暴狼藉に怒って石屋戸(いわやど)に隠れ、入口をふさいだ。
世界が暗闇になったので神々が協議し、怪力のタチカラヲが石屋戸を力づくでこじ開け、アマテラスを引きずり出し、世に光が戻った。

この時に力余って,石屋戸が信濃まで飛来し,これが戸隠山となったという伝承がこの地に伝わっている。
戸隠山
その特異な山容(海底火山が隆起したという)によって,太古の昔から戸隠山自体が信仰の対象であったと想像できるが,現在の祭神は『古事記』などに登場する天手力雄命(アメノタヂカラヲ)である。
奥社の隣に九頭龍社が鎮座するが,これが戸隠五社(奥社,中社,宝光社,火之御子社,九頭龍社)の中でもっとも古い地主神を祀るとされており,九頭龍社こそが,戸隠山の土着信仰に繋がるのかもしれない。
奥社境内は,平安時代以降,修験道の霊場として繁栄し「戸隠山顕光寺」とも称したが,明治維新後の神仏分離政策により神社となった。

戸隠奥社入口の社号標戸隠奥社参道の鳥居
「奥社入口」のバス停から,北西方向に約2キロメートルの参道が始まる。
戸隠奥社参道の随神門戸隠奥社参道
参道のほぼ中間点に随神門が建つ。ここから先は鬱蒼とした杉の並木が続く。
戸隠神社奥社の社殿
随神門から15分ほど進むと,やや傾斜がきつい石段となり,石段を登ると社殿が見える。
戸隠神社奥社の社殿戸隠神社奥社の社殿屋根(部分)
石組みで固められた岩窟が社殿になっている。社殿の奥の崖にも石垣が見える。
戸隠神社奥社から見る戸隠山
社殿のかなたに戸隠山の稜線の一部が覗いている。

戸隠神社境内の一龕龍王祠
参道入口の大鳥居から少し進んだ所に小祠がある。石標に「一龕龍王祠(いちかんりゅうおうし)」とある。
北東4キロメートルほどにある「種池」の主神を祀る祠である。
戸隠神社境内の飯綱社戸隠神社境内の飯綱社の祠
参道の杉並木が終わるあたりに飯綱社が鎮座する。
戸隠を開いた学問行者は,戸隠開山に先立って飯綱山(戸隠山の東南東8キロメートル)を奉斎したと伝える。

(長野県長野市戸隠3690)
2017.9.4

戸隠神社(公式サイト)


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