諸国神社めぐり

若一王子神社(大町市大町〈おおまち〉)

大町の若一王子神社一の鳥居
若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)は,JR(大糸線)北大町駅の西南西300メートル,大町の俵町地区に鎮座する。
社伝によると,垂仁天皇(第十一代)の御代,仁品王(第十代崇神天皇の末子で垂仁天皇の弟。安曇野を開拓したとされる)が伊弉冉尊を祭祀したのが起源と伝える。
その後,この地域を支配した仁科氏が,祖先神の仁品王とその后の妹耶姫(いもやひめ)を合祀して嘉祥二年(849)に創建したという。
鎌倉時代初期には熊野権現(那智大社)の第五殿に祀られている若一王子を勧請し,これ以後「若一王子の宮」「若一王寺」「王子権現」と称されるようになった。
現在の祭神は,伊弉冉尊,仁品王,妹耶姫,若一王子である。
仁科氏滅亡後は,松本城主に篤く庇護された。
明治になって寺号を廃して現社号に改めた。
明治五年(1872)に村社に列せられ,大正十三年(1924)に郷社に,さらに昭和六年(1931)に県社に昇格した。
戦後は昭和五十一年(1976)に神社本庁の別表神社となった。
大町の若一王子神社境内入口
社殿は南向きであるが,最初の石の大鳥居は東向きに建っており,途中で参道が右折し,朱の鳥居がある。

大町の若一王子神社拝殿大町の若一王子神社拝殿の扁額
拝殿は,伊勢神宮第六十回式年遷宮(1973)の古材を譲り受けて,昭和五十年(1975)に旧拝殿の前方に造営された(旧拝殿は幣殿となった)。
扁額に「若一宮」とある。
大町の若一王子神社本殿(東側面)大町の若一王子神社本殿
大町の若一王子神社本殿(西側面)大町の若一王子神社本殿(背面)
本殿(一間社春日造檜皮葺,妻入)は,弘治二年(1556)に仁科盛康によって造営された貴重な建築物である。
承応三年(1654),松本藩第二代藩主の水野忠職(みずのただもと)によって改修がおこなわれた。この時の宮大工は金原周防である。

大町の若一王子神社境内の松尾神社と鹿島神社大町の若一王子神社境内社
本殿の周囲に松尾神社,鹿島神社などが並んでいる。

大町の若一王子神社境内の八坂神社大町の若一王子神社境内の八坂神社の神輿
境内に八坂神社が鎮座し,中に宮殿として神輿が安置されている。
昭和四十年代まで祭礼の巡幸で使われていた。正確な制作年代は不明であるが,境内の観音堂の宮殿(宝永三年〈1706〉)と様式に類似点が多いことから,この神輿も同時期のものと考えられている。

大町の若一王子神社境内の観音堂大町の若一王子神社境内の三重塔
境内に観音堂(1706年)と三重の塔(1711年)が残り,神仏習合時代を彷彿とさせる。
観音堂には,本地仏とされた十一面観音坐像などが安置されている。

(長野県大町市大町2097)
2017.9.5

信州仁科の里 若一王子神社(公式サイト)


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