諸国神社めぐり

少彦名神社(中央区道修町〈どしょうまち〉)

少彦名神社社頭
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は,地下鉄(堺筋線)北浜駅の南100メートルに鎮座する。
注連柱の刻字「定給療病方咸蒙 其恩頼」は,『日本書紀』(巻一)の「爲顯見蒼生及畜產、則定其療病之方(中略)是以百姓至今咸蒙恩頼」(顯見の蒼生および畜産の為には、則ち療病の方を定め(中略)是を以って百姓、今に至るまでみな恩頼を蒙る)にもとづく。

明暦四年(1658)ころから薬種商がここ道修町に集まっていたが,薬種商の家々で中国の医薬と農耕の神である炎帝神農の掛け軸を崇敬する風習があった。
安永九年(1780),京都の五条天神(下京区松原通西洞院)から少彦名命を勧請し,仲買仲間の寄合所の神棚に神農氏とあわせて祀ったのが当社の起源である。
現在も少彦名命と炎帝神農の二柱を祭神とする。
天保八年(1837)の大塩の乱の火災で寄合所も類焼したが,同十一年(1840)に寄合所の敷地に小社を建てて祀った。
明治九年(1876)に少彦名神社として登録された。
明治三十九年(1906)の神社合祀令により,当社も他の神社へ合併となる運びであったが,大坂薬種卸仲買商組合が合併に反対し,寄付による境内の拡張,社殿と社務所の新築などによって独立を維持し,四十四年(1911)に「無格社 少彦名神社」の指定を受けた。
昭和五十五年(1980)に本殿と拝殿を修築し,社務所を5階建ビルとして新築した。
少彦名神社社殿
社務所ビル横の細い参道の奥に社殿がある。
少彦名神社社殿正面
拝殿に張り子の虎がある。
文政五年(1822),大坂でコレラが流行した時,薬種仲買仲間が「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を施薬し,あわせて張り子の虎を授与したのが虎の由来である。
少彦名神社社殿正面
拝殿の横に伊勢神宮遥拝所がある。
享保十八年(1733)に薬種商が「伊勢講」を組織し,神宮への参拝もおこなっていたことに由来する。

くすりの道修町資料館
社務所ビルの3階に薬に関する資料を展示する資料館が設けられている。
くすりの道修町資料館展示物くすりの道修町資料館展示物

(大阪府中央区道修町2丁目1-8)
2018.7.25


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