諸国神社めぐり

阿伎留神社(あきる野市五日市〈いつかいち〉)

あきる野市の阿伎留神社参道入口
阿伎留神社は,JR(五日市線)五日市駅の南東1キロメートルの秋川を見下ろす段丘上に鎮座する。
社号を「畔切」「秋留」と表記する史料もある。
江戸時代は「春日大明神」とも,また鎮座地によって「松原大明神」とも称された。現在は「松原さま」と呼ばれるという。
当社は『延喜式』(神名帳)に「阿伎留神社」(武藏國多磨郡)として記録されてる古社である。
『三代実録』の元慶八年(884)の条に「畔切神に従四位下を授けた」(原漢文)と記録されている。
武将の信仰も広く,天慶三年(940),藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が平将門征討の際に当社で戦勝祈願したと伝える。
また源頼朝,足利尊氏,北条氏康らも社領を寄進した。
明治六年(1873)に郷社に列せられた。
現在の祭神は大物主神,味耜高彦根神,建夷鳥神,天児屋根命である。

阿伎留神社拝殿正面阿伎留神社拝殿の額
天保元年(1830)の大火に類焼し,社殿や末社をすべて焼失し,明治二十一年(1888)に本殿と拝殿を再建した。
阿伎留神社本殿阿伎留神社拝殿
阿伎留神社狛犬(吽)阿伎留神社狛犬(阿)
拝殿前の狛犬の台座の年号は大正三(五?)年である。

阿伎留神社境内の堀
拝殿の左に堀(井戸)がある。

阿伎留神社境内の大鳥神社
境内西隅に大鳥神社がある。境内の「由緒略誌」によると,大鳥神社は若雷神社と熊野神社を合祭するという。
『式内社調査報告』によると大鳥神社の祭神は思兼神,大名持神,事代主神の三柱で,寿永二年(1183)の創立である。
若雷神社の祭神は加茂別雷神,熊野神社の祭神は伊弉奈岐命,速須佐男命,櫛御氣野命である。

阿伎留神社境内祓戸大神阿伎留神社境内の占方神社
拝殿の左に「祓戸大神」の扁額の掛かる祠がある。右には占方神社があり「櫛真智神」の額が掛かる。いずれの社殿も新しい。
阿伎留神社境内阿伎留神社境内天満宮
本殿裏に現在は使われていないと思われる三間造の社殿らしきものがある。また本殿裏右方に「松原天満宮」の額の掛かる社殿がある。天満宮の社殿は新しい。
境内の「由緒略誌」は,末社として菅原神社(小川神社,占方神社,倭建命神社を合祭),日枝神社(伊多弖神社,松尾神社,平野神社,庭津神社,国造社を合祭する),松原稲荷神社,白光稲荷神社,稲穂稲荷神社を記すが,現状とは一致しないようである。

(東京都あきる野市五日市1081)
2017.3.28


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