諸国神社めぐり

気多神社(高岡市伏木一宮〈ふしきいちのみや〉)

伏木一宮の気多神社参道入り口
気多神社(けたじんじゃ)は,JR(氷見線)越中国分駅の南西800メートルに鎮座する。社地は,二上山の東麓の標高95メートルで,伏木地区を見おろす高台である。「越中一の宮」を自称している。なお,越中国では射水神社二上射水神社)なども「一宮」を称している。
主祭神は大己貴命である。
『延喜式』(神名帳)の越中国射水郡十三座の一である。同郡の射水神社との勢力争いがあったのか,『延喜式』には当社を「明神大社」とする本と,射水神社を「明神大社」とする本がある。
養老二年(718)に行基が創建したとも,また越中国から能登国が分立*した際に能登の気多大社(大己貴命)を勧請したとも伝える。
(*能登国の分立は二度おこなわれた。養老二年(718)に越前国から分立したが,天平十三年〈741〉に併合され,天平宝字元年〈757〉にふたたび分立した。)
明治六年(1873)に縣社に列せられた。

気多神社参道気多神社参道から拝殿
屈曲した参道を登ると,拝殿の破風屋根が見える。
気多神社拝殿気多神社拝殿の額気多神社拝殿から本殿正面
横に長い拝殿の奥に本殿の屋根が見えている。

室町時代の様式を伝える気多神社の本殿
当社は,寿永元年(1182)に木曽義仲と,天文年間(1532-54)に上杉謙信と,計二度の交戦による兵火で焼失した。
永禄年間(1558-69)に再建され,現在の本殿は再建時の貴重な建造物とされる。昭和六年(1931)に国の重要文化財に指定された。
三間社流造で,杮葺である。室町期の建築様式を伝える貴重な建築物で,国指定の重要文化財である。
気多神社本殿向拝空海の真筆と伝える気多神社本殿の「一宮」額
本殿の「一宮」額は空海(774-835)真筆とされるが,詳細不明。その奥には藤原行成の「氣多大社」額もある。
このほか鎌倉期の木造狛犬や武蔵坊弁慶の足跡などが保存されているという。

境内には,大伴神社,越中総社跡などがある。

(富山県高岡市伏木一宮1丁目10-1)
2014.5.3

富山 越中國一宮 氣多神社(公式サイト)


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