諸国神社めぐり

放生津八幡宮(射水市八幡町〈はちまんまち〉)

射水市八幡町の放生津八幡宮参道入り口
放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)は,万葉線東新湊駅の北西600メートル,伏木富山港の海岸近くに鎮座する。
当社は,天平年間(八世紀)に大伴家持(おおとものやかもち)が創建したと伝える古社である。
家持は天平十八年(746)に越中国司として赴任し,ここ奈古之浦(奈呉の浦)の風光を愛し,豊前の宇佐八幡宮を勧請したという。
応神天皇を祭神とし,仁徳天皇を配祀する。
正和年間(1312-1317)越中守護の名越時有(なごやときあり)が社殿を造営したと伝える。
その後,上杉謙信の兵火に罹って焼失したが,放生津城主の神保長職(じんぼながもと)が再興した。
射水市八幡町の放生津八幡宮境内鳥居と社殿
大鳥居からの参道が左に折れ,その先に鳥居と拝殿がある。
射水市八幡町の放生津八幡宮社殿射水市八幡町の放生津八幡宮拝殿正面
入母屋造りの重厚な拝殿が目を惹く。現在の社殿は,文久三年(1863)に宮大工の高瀬輔太郎(たかせすけたろう)を棟梁として再建された。
射水市八幡町の放生津八幡宮拝殿の細部射水市八幡町の放生津八幡宮拝殿の細部射水市八幡町の放生津八幡宮拝殿の細部
拝殿細部の装飾も優れている。
射水市八幡町の放生津八幡宮本殿射水市八幡町の放生津八幡宮本殿
流造りの本殿が拝殿から離れて建っている。

放生津八幡宮の大狛犬(阿)放生津八幡宮の大狛犬(吽)
拝殿に据えられた大きな狛犬が目を惹く。
ケヤキの寄木造りで,弘化三年(1846)の奉納である。
作者の矢野啓通(やの たかみち)は,射水郡新湊町法土寺村(現在の射水市立町の付近)の生まれ。幼少より彫刻を好んみ,十九歳で放生津八幡宮の狛犬を彫って賞賛された。
その後,さらに技量を高め,加賀藩の能面を刻んで寵愛され,藩主に随行して江戸に出た。
維新後は,宮内省や帝室博物館に,御璽の印台ほか多くの作品を献納した。

*『射水郡誌』上(1909年)は,生年を「文政三年」(1820),没年を「明治十九年」(1886)としながら,享年を「六十四」とする。合わない。
八幡宮拝殿に掛かる説明板は,生年を「文政十一年」(1828)とする(没年の記載なし)。

(富山県射水市八幡町2-2-27)
2014.9.6, 2015.5.2


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