にいがた百景2

堀部安兵衛生誕の地(新発田市大手町〈おおてまち〉)

堀部安兵衛生誕地
忠臣蔵四十七士の一人として名高い堀部武庸(ほりべたけつね,1670−1703),通称堀部安兵衛(ほりべやすべえ)の生誕地を記念する碑(大正六年)は,かつての県立新発田病院の隣に建っている。
堀部安兵衛生誕地記念碑
堀部安兵衛の旧姓は中山である。新発田藩士・中山弥次右衛門の長男として,現在の大手町で出生。母方の祖母は,初代新発田藩主・溝口秀勝の娘である。
父の弥次右衛門は二百石取りの藩士であったが,安兵衛が十三歳の時,城内の火災の責任を問われ,禄を没収された。その後,家名再興の望みも薄れ,安兵衛は新発田を捨てた。十八歳で江戸に移り,赤穂藩士の堀部弥兵衛に請われて堀部家を継ぎ,堀部安兵衛となって赤穂浪士の一員となった。


新発田城の表門の前には堀部安兵衛の像がある。江戸への旅立ちの姿である。

(新潟県新発田市大手町)
2008.11.29, 2011.8.27


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