諸国神社めぐり

稲荷信仰

種々の神社のうち,稲荷神社の数がもっとも多く,三万社とも四万社ともいわれる。稲荷信仰は特に東日本において優勢である。
その起源は,京都の地方豪族である渡来系の秦氏一族が稲荷山に祀った農耕神とされる。(現在,その地に稲荷信仰の総本宮である伏見稲荷大社が鎮座する。)

平安時代になると,稲荷信仰が仏教と結びつき,全国への流行のきっかけとなった。これには弘法大師(空海)の役割が大きかった。空海は稲荷神を稲荷山の山頂から麓に遷して東寺(教王護国寺)の鎮守とした。これにより,真言密教が全国に広まるのにともなって稲荷神の信仰も普及していった。
祭神は食物をつかさどる宇迦之御魂(ウカノミタマ)神であるとされた。宇迦之御魂神は,『古事記』によると,素盞嗚(スサノヲ)と神大市比売(カムオホイチヒメ)の間に生まれた神である。
穀物神である宇迦之御魂神は,おなじ神格の豊受大神と同一神とされることがあり,祭神を豊受神とする稲荷神社もある。
さらに,稲荷神は真言密教において荼吉尼天(だきにてん)と習合した。伏見稲荷系とは別に,愛知県の豊川稲荷(円福山豊川閣妙厳寺)の鎮守を本源とする仏教系統の稲荷信仰もある。

そもそも農耕神(田の神)を祀ることは,京都の秦氏に限らず全国各地に一般的にみられる土着の信仰であった。真言密教系の稲荷信仰が各地に広まるさいに,各地の固有の田の神と稲荷神が結びついた。土着の田の神信仰では,キツネを神の使者あるいは田の神そのものと考えることが多かったため,稲荷神と狐が結びつけられ,ついにはキツネを稲荷神そのものと考えるようにまでなった。

稲荷信仰が拡大する過程で,本来の農業とのかかわりに加えて,商業や工業などの産業の守護神としての性格も持つようになった。それにより稲荷神は都市部でも信仰され,個人が屋敷神として祀ることも流行し,あらゆる願い事をかなえてくれる万能の福神となっていった。


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