天満宮・天神信仰

天神とは,本来は文字どおり「天の神霊」である。多くの場合,雷と結びつき,さらに雨,水,また蛇や竜とも関連する。したがって天神は,雷雨や水害をもたらす荒ぶる神であると同時に,農耕を助ける慈愛の神でもあるという二面性を持っている。
九世紀後半には,京都の北野の地で「雷公」を祀って豊作が祈願されていたという。

延喜元年(901),右大臣の菅原道真(すがはらのみちざね)が政敵の讒言によって九州の太宰府に左遷され,二年後に世を去った。
その後,讒言の張本人である藤原時平をはじめとする関係者の怪死,さらには旱魃や水害などの凶事が続いた。ついには宮殿への落雷により数名が命を落とすに至った。
人々は道真の怨霊を雷神と結び付けて恐れおののいた。怨霊を鎮めるため,延長元年(923)には道真の罪を取り消し,正暦四年(993)には正一位太政大臣が贈られた。

名誉を回復した菅原道真への崇敬は民間にも広がり,天の神(雷公)を祀っていた北野の地では,道真の霊も合わせて祀られるようになった。また道真最期の地である太宰府でも,天神と道真をともに祀ることにした。
その後,道真の神霊が「天満大自在天神」「天満天神」などと呼ばれるようになり,「天満宮」の名が一般化した。これが北野天満宮・太宰府天満宮の起源である。祭祀の対象となった道真の怨霊はしだいに鎮まっていった。
菅原道真の怨霊が鎮まってからは,道真の学芸に秀でていた面に注目が集まるようになった。「天神」が「学問の神様」となったのはそのためである。

しかし天満宮・天神が「雷神」としての性格を完全に失うことはなく,元来の農業神としての信仰も続いた。学芸と無縁な水田地帯の集落に天満宮が鎮守として祭られているのはそのためである。
全国の天満宮・天神社・菅原神社は,京都の北野もしくは太宰府の天満宮を勧請したものである。

新潟市の天満宮・菅原神社

新潟県の天満宮・菅原神社(一部)


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