新潟県神社探訪

南部神社(長岡市森上〈もりあげ〉)

南部神社参道
南部神社は,旧栃尾市の森上地区に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「越後國古志郡森上村字笈返リ 無格社・南部神社」とある。
祭神は軻遇突智命である。
由緒についてはさまざまな伝承があり,錯綜している。
羽州森岡(盛岡)に鎮座した南部権現を勧請したという。(「南部神社」といえば岩手県遠野市東舘町の南部神社が名高いが,遠野市の南部神社は南部藩の祖霊を祭る神社であり,当社とは関連がないようである。)
またいう。後醍醐天皇の時,鎌倉幕府追討のため出兵したが,南部権現が一昼夜でそれを越後国中に触れ回って追討軍の援軍を募った。
さらにいう。後奈良天皇の時,権現が僧に姿を変えて北国巡行し,天文十二年(1543)この地に至り,大鍋ケ嶽に登り,笈を下ろしてにわかに姿を消した。
昭和三年(1928)に現在地(字西中)に移転した。
南部神社拝殿
南部神社拝殿南部神社拝殿額
社殿の向拝部分などに,手の込んだ彫刻が施されている。(→社殿の細部

長岡市森上・猫又権現の猫猫又権現の猫・正面猫又権現の猫(笠)
当社は「猫又権現」とも呼ばれ,猫の石像があることで知られている。
猫の像は,石段を登り詰めた所に座っている。
社殿に祀られている本尊は猫の使いだとされている。猫が信仰されている理由は不明だが,養蚕が盛んだったころに蚕を食べる鼠を駆除する猫を尊重したことに由来するという解釈もある。

南部神社境内南部神社鳥居
境内に石塔がまとめられているが,「造化神社」「木曜星神」などの珍しいものを含む。
(市史は,境内社に白山社,諏訪社,神明社があるとするが見当たらない。)
鳥居前の碑文(南部山)は,良寛とも親交のあった富川大塊(とみがわ たいかい,1799-1855)の書である。

(新潟県長岡市森上)
2006.6.10, 2010.5.2, 2016.5.6


旧 栃尾市南部(東谷,荷頃,入東谷,西谷,中野俣,半蔵金)神社