神明宮は,JR(羽越本線)加治駅の東5.5キロメートル,上石川地区と中川地区の境界あたりに鎮座する。
かつて上石川,下石川,中川の三地区は,上石川に鎮座する神明社を共同で祭っていた。祭神は天照皇大御神である。
大正四年(1913),大正天皇即位大典を記念して,神納倉社の祭られていた現在地(三地区のほぼ中間に当たる)に鎮守の神明宮を遷し,ここに三集落内の諸社を合祀した。これが当社である。
神明宮は永正三年(1506)の創立と伝える。このほかに合祀されたのは,字江添の牧岡社(もと河内神社と称し,天正八年〈1580〉勧請で,祭神は天児屋根命),字熊野沢の熊野社(伊弉冉尊,速玉男命,事解男命),字石坂の諏訪社(健御名方命),字神納倉山の神納倉社(高倉下命),中川新村新田字江添の八幡社(応神天皇),下石川字笹入の玖斯神社(天正五年勧請の薬師堂で,祭神は大己貴命と少彦名命),稲荷社である。
参道は長く,途中に鳥居が二基ある。二の鳥居の額束には「八幡宮」とあり,合祀の経緯を伝える。
拝殿は瓦葺きの入母屋造りで,額には「神明宮」と書かれている。拝殿の内部にも「神明宮」の額があった。
拝殿の背後に石段があり,その上に本殿が建っている。
本殿は神明造りである。大正の合祀のさい,合祀された諸社の境内の木を用いて建てられたという。
(新潟県新発田市上石川)
2007.7.28
参考:神明宮とは?