新潟県神社探訪

八幡神社(長岡市与板町本与板〈よいたまちもとよいた〉)

本与板八幡神社の鳥居
八幡神社は,信濃川に架かる与板橋の西1キロメートルに鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「越後國三島郡本与板村字北向 村社・八幡神社」とある。祭神は誉田別尊(応神天皇)である。
「明細帳」は,当社を式内社とする伝承を記録している。(与板乙の都野神社も「式内都野神社」の候補である。)
当社は,明治維新後,当地が柏崎県に属した時,本与板村,蔦都新田など七箇村の村社に列せられたが,明治六年(1873)の柏崎県消滅に合わせて社格も廃された。
明治四十五年(1912)に別の場所にあった應神社(應神天皇),稲荷神社(豊受姫命),白山神社(白山比女命)の三社を合併した。

当社の南方に広がる丘陵は,天文年間(1532-1554)以降に直江氏が居城とした場所である(→本与板城趾)。
三代目の直江兼続の時,南に2キロメートルほど離れた城山(じょうやま)にあらたに城を築いた(与板城)ため,この地は本与板と呼ばれる。
こうした場所に祀られている当社も,本与板の鎮守として古い由緒を持ち,創立は中世に遡る。
一時,古志郡に分社し芹川村に旧跡があり(今の長岡市芹川町の都野神社か),後に与板に戻ったという。
奉斎する神像は文明十年(1478)に渋谷重久(直江氏の家臣)が寄進したものである。
本与板八幡神社社殿全貌本与板八幡神社の拝殿(向拝部分)
本与板八幡神社幣殿の裏本与板八幡神社の本殿
幣殿の背後に,本殿まで続く石段がある。本殿は雪囲いが施されている。

本与板八幡神社狛犬(吽像)本与板八幡神社狛犬(阿像)
拝殿の前には大正十五年の狛犬が置かれている。いわゆる護国系狛犬で,弥彦神社のものと瓜二つである。

境内に立つ石碑に「伝聞によれば式内社と推される古社である」とある。当社が『延喜式』所載の「都野神社」であることをほのめかすと思われるが,詳細は不明である。現在,城山の近くに都野神社(与板八幡宮)があり,これが「式内・都野神社」の有力な候補であるが,祭神を同じくする当社とのなんらかの関連も想像される。

祭神の「譽田別尊」によって村名を「譽田」(ほむた)としたが,俚俗がこれを誤って「(與板)よいた」と訓じ,遂に「與板村(与板村)」となったという伝承もある。

(新潟県長岡市与板町本与板)
2009.1.18


旧 与板町神社