新潟県神社探訪

須佐之男神社(新発田市天王〈てんのう〉)

新発田市天王の須佐之男神社鳥居
須佐之男神社(すさのおじんじゃ)は,JR(羽越本線)月岡駅の北1キロメートル,旧豊浦町の天王地区に鎮座する。福島潟にも近い場所である。
かつて天王宮(牛頭天王)と称し,修験が奉仕していたが,明治三年(1870)に社号を「須佐男神社」に改めた。
明治六年(1873),村社に列せられた。
祭神は須佐男尊である。(→祇園信仰とは?
当社の創立時期は不明だが,貞享三年(1686)に社殿を建てて牛頭天王を祭ったとも伝えられている。現在の社殿は天保十四年の改築という。
新発田市天王の須佐之男神社社殿側面
明治二十三年(1890),社地の裏に県道(現在の国道460号)が開通したおり,高橋耕雲氏(当地の画工)によって社殿の背面に,須佐男尊の妃神である櫛名田姫命を祭る社殿が建てられた。
背中合わせに社殿が連なる珍しい様式となっている(右が須佐之男神社で,左が櫛名田姫命を祭る社殿)。
明治四十三年(1910)に字砂山(天王小学校の地)の金刀比羅神社(宝暦六年〈1756〉創立の新川村の産土神で,祭神は大物主命)を合併し,須佐之男神社と改めた。
「神社明細帳」(明治十七年)によると,合併前の金刀比羅神社には,境内社・潟岡神社(祭神は埴安姫命と水波賣命)があった。潟岡神社も金刀比羅神社とともに当社に合併されたのであろう。
また須佐之男神社の境内に神明社(天照皇大神)があった。これも本社に合併されたのであろう。

新発田市天王の須佐之男神社新発田市天王の須佐之男神社
もともとの須佐男神社の社殿。今「須佐之男神社」の額が掛かっている
須佐之男神社背後の天王神社天王神社の額
背面の「天王神社」の額が掛かる社殿に櫛名田姫命(奇稲田姫命)が祭られている。

新発田市天王の須佐之男神社境内
合併された金刀比羅神社の社殿跡には石碑が建てられている(平成二十年)。

(新潟県新発田市天王613)
2009.10.10


新発田市(旧 豊浦町)神社