
金峯神社(きんぷじんじゃ)は,JR(信越本線)北長岡駅の西1キロメートルに鎮座する。
伝承では,和銅二年(709)に大和国吉野(奈良県吉野)の蔵王権現を古志郡楡原に勧請したのを創建とするという古社である。故地には現在も蔵王社が祭られている(長岡市岩野外新田の蔵王社)。
楡原では大伽藍が並び建ち,秋葉三尺坊が修験者として活躍したという。その後,三島郡矢田(長岡市寺泊矢田)に遷ったとされる。(今,寺泊矢田の神明神社には蔵王社の金山彦命が合祀されている。)
蔵王権現は,仁治三年(1242)に現在地に遷り,又倉村(長岡市蔵王)の産土神である又倉神社と合併したという。又倉神社の祭神は,大地主命(おおとこぬしのみこと),須勢理比売命(すせりひめのみこと),沼奈川比売命(ぬながわひめのみこと)である。
その後は修験の霊場として栄え,鎮座する地名も又倉村から蔵王村に変わった。
明治四年(1871)に神仏分離の政策により権現号を廃して金峯神社と改め,あわせて祭神を金山彦命と定めて今日に至っている。
ところで,当地の本来の産土神であった又倉神社は,「神社明細帳」(明治十六年)には金峯神社の境内社として記載され,合わせて又倉神社を『延喜式』の「宇奈具志神社」(古志郡六座の一)とする由緒が記録されている。又倉神社では「王神祭」と称する神事がおこなわれ,現在も続いている。
式内「宇奈具志神社」の候補としては,三島郡出雲崎町乙茂の宇奈具志神社もある。
いずれにしても,式内社の候補は又倉神社であり,これと合併する以前の蔵王権現(金峯神社)は式内社とはかかわりがないようである。


明治四十年(1907)に社殿が炎上し,大正二年(1913)に再建された。
平成十五年(2003)には拝殿全焼し,つづいて翌十六年(2004)に中越大地震で被災したが,平成十七年(2005)に拝殿が再建された。




重厚な権現造りの拝殿と,少し離れて建つ本殿。
「神社明細帳」は,境内社として前述の又倉神社のほか,八幡神社(誉田別尊),日枝神社(大山咋命),秋葉神社(火産霊神),稲荷神社(豊受比売命)を列挙する。
今は境内社が見当たらない。本社に合併されているのであろう。
(新潟県長岡市西蔵王)
2010.5.15
→金峯神社(公式サイト)