にいがた百景

戊辰戦争慰霊碑(新潟市中央区西船見町〈にしふなみちょう〉)

戊辰役殉難者墓苑
戊辰役殉難者墓苑は護国神社の境内にある。
鳥羽伏見戦争に始まる戊辰役の戦火は,新潟市街にも及び,西軍(薩摩,長州,高鍋,新発田)と東軍(米沢,会津,庄内)の双方に多くの死者が出た。
明治のはじめ,新政府軍側である西軍戦死者の墓碑が常磐ケ岡(旧新潟大学本部跡)に置かれ,新潟招魂社として長く祭られていた。(→しょうこん坂
招魂社は役割を拡大し,日清,日露戦争以後の戦死者も祭るようになり,「護国神社」と改称され,昭和二十年(1945)五月には西船見町の現在地に遷った。
戊辰戦争慰霊碑戊辰戦争慰霊碑
苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいる。

東軍慰霊碑

護国神社遷座から四十年,昭和六十年(1985)に新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる四十六の人骨が発見された。
反明治政府戦士の遺骨であるため,改葬されることもなく忘れ去られていたのであろう。
集められた遺骨はこの戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され,新潟大学医学部による慰霊碑が建てられ,また1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた。
戊辰戦争慰霊碑
中央の背の高い碑が「戊辰役東軍慰霊碑」。
一帯には今も多くの遺骨が埋まっているはずだが,宅地化が進んでいるため発掘調査は不可能である。

こことは別に,同じ東軍で新潟町守護の総督として壮烈な戦死を遂げた色部長門(米沢藩家老)を記念する碑が,関屋の戊辰公園にある。(→色部長門君追念碑
またここから800メートルほど東にある新潟大神宮の境内には,会津藩の死者を慰霊する殉節之碑がある。
長岡市には,長岡城争奪の激戦地に資料館がある。(→北越戊辰戦争伝承館

附近の観光スポット:坂口安吾碑日本海タワー新潟大学あさひまち展示館

(新潟市中央区西船見町,JR 新潟駅から徒歩40分。)
2002.8.3, 2007.1.14


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