新潟市神社探訪

蒲原神社(新潟市中央区長嶺町〈ながみねまち〉)

蒲原神社鳥居
蒲原神社(かんばらじんじゃ)は,新潟駅の東約1キロメートルに鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「中蒲原郡蒲原村字居村 邨社・五社神社」とある。
かつて「蒲原ノ津の金鉢山」に鎮座したと伝える。現社地の北北西1.2キロメートル,現在稲荷神社(沖ノ口湊稲荷)が鎮座するあたりと推定されている。
元禄三年(1690),洪水の被害により現在の地に遷して再興したと伝えられる。
祭神は,火牟須比命,加具津智命,水波廼女命,久久廼智命,金山比子命の五柱である。
創建の時期は不詳だが,椎根津彦(神武東征の先導を務めた)の後裔が創建したとも伝える。鎌倉期には源頼朝の信仰が篤く,社領の寄進もあったという。蒲原村の産土神である。
明治六年(1873)に村社に列せられた。
明治四十一年(1908),境内に祀られていた神明社(大日孁貴尊)と諏訪神社(健御名方命),また六郎神社が五社神社に合祀された。
六郎神社は,畠山六郎重宗と畠山次郎重忠を祀り,「六郎さま」と呼ばれていた。木造の畠山重宗夫妻坐像は十四世紀前半の仏師の作品である(新潟県指定文化財)。
大正十一年(1922)に郷社に昇格した。
現在は,菅原道真命(天神様)と「祖神」とされる椎根津彦命も祭神に列している。

当社は古くから農耕神として信仰され,6月30日から7月3日にかけて祭礼がおこなわれる。その年の穀物の作柄を占う「託宣」(7月1日の夜)や露店のにぎわい(2日まで)が有名で,蒲原まつりとして新潟市民に親しまれている。
祭祀の名称に従い,社号を「蒲原神社」に改めた(1981年)。

蒲原神社蒲原神社拝殿の額蒲原神社拝殿内部
拝殿の額に「青海社」とあり,鳥居下の解説も,当社を「延喜式」の「青海神社」(蒲原郡十三座のうち)とする。式内社としては,加茂市の青海神社が有名である。
「延喜式」は「青海神社二座」と記載するが,当社の伝承によると,加茂の青海神社と蒲原神社は陰陽の関係にあり,三年に一度,神輿が加茂から金鉢山(蒲原神社の故地)に来たという。
この伝承によると,「青海神社二座」は加茂の神社と当社の二社を指し,当社もまた「式内・青海神社」ということになる。

蒲原神社拝殿屋根蒲原神社拝殿屋根
社殿は明治二十二年(1889)の建築で,細部の装飾が美しい。瓦葺きの屋根には「五」を図案化した紋様が見える。
社殿細部

蒲原神社境内の梅花蒲原神社の梅蒲原神社の梅
境内には梅の木が多い。→蒲原神社の梅

(新潟市中央区長嶺町3-18,JR 新潟駅から徒歩15分)
2003.2.17, 2006.4.9, 2010.3.19, 2015.3.26,2017.4.5


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