おおいた百景

伊東マンシヨ像

伊東マンシヨ像
天正少年使節としてローマに渡った伊東・ドン・マンシヨの像は,大分市の遊歩公園にある。
フランシスコ・ザビエルの滞在をひとつの契機に,大分市(当時は府内と称した)は,キリスト教布教の拠点のひとつとなった。
この地を治めていた大友宗麟(ドン・フランシスコ)や有馬晴信,大村純忠らは,ローマ教皇に少年使節を派遣することにした。
宗麟は自身の名代として,遠縁の13歳の伊東マンシヨ(1569頃-1612)を選抜した。
この一行が「天正少年使節」で,伊東マンシヨはそのリーダーであった。
伊東マンシヨ像(近影)伊東マンシヨ像(顔)
使節団は天正十年(1582)に長崎を出港し,1584年にリスボンに上陸。1585年にローマに入り,大歓迎の中,グレゴリウス13世に拝謁した。
伊東マンシヨは,天正十八年(1590)に帰国を果たしたが,時は秀吉による禁教の世に代わりつつあった。
その後は隠れキリシタンへの布教活動などを続け,慶長十七年(1612)に長崎で病没した。
(マンシヨが1585年にヴェネツィアを訪問した時に制作されたと思われる肖像画が,2014年にミラノで発見され,日本で2016年に公開された。)

遊歩公園一帯には,フランシスコ・ザビエル瀧廉太郎などの像,外科手術発祥の記念碑,西洋演劇発祥の地の記念碑など,大分の歴史を語る記念碑や彫刻が並んでいる。

2007年3月30日,2015年3月28日


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