
萬壽寺は臨済宗の古刹である。
大友貞親(五代当主)は,鎌倉で北条貞時(執権)から「寺を建てて僧を養ったことがあるか」と問われ,おそれて「小寺に百人の僧を置いている」と答えた。帰国後,徳治元年(1306),府内に萬壽寺を建て,博多承天寺の智侃を招いて開山とした。
東九州の臨済宗の中心となり六十余寺を分出した。

萬壽寺は境内に滝廉太郎の墓があることで有名である。
瀧家の菩提寺は日出町の龍泉寺であったが,廉太郎の父,吉弘が萬壽寺住職の足利紫山と親交があった縁で,住居にほど近いここ萬壽寺に葬られた。
瀧累世之墓の横の碑は,1904年(没年の翌年)に廉太郎の音楽学校の同窓生,田村虎藏らが建てたもの。碑文は以下のとおり。
嗚呼天才之音楽家
瀧廉太郎君碑
東京音楽学校同窓会有志者建之
→参考:瀧廉太郎名曲選
なお,平成23年(2011),廉太郎の墓は速見郡日出町の龍泉寺に移された。
(大分市金池町5)
1998年8月7日