
大分駅前の広場に建つ大友宗麟(おおともそうりん)の像は,富永直樹氏の作(1982年)である。
宗麟すなわち大友義鎮(よししげ,1530−1587)は大友家の第二十一代当主。
父の義鑑(よしあき)を継いで豊後守護となり,九州北部の六か国を支配した戦国大名である。


像はかなりの大きさであるが意外に目立たない。台座の大きさのためであろうか。
宗麟はキリシタン大名としても知られ,洗礼名をドン・フランシスコという。1551年に,フランシスコ・ザビエルを招いて宣教活動をさせた。
大分の地でキリスト教信仰の盛んであったことは,のちイエズス会が日本に三つの教区を設定するさい,豊後一か国で単独の教区(豊後教区)を設置したことにもあらわれている。
1557年のクリスマスイブには,我が国ではじめて西洋音楽が演奏されたとされ, 遊歩公園には 西洋音楽発祥の地 の記念像もある。
1582年には伊東マンショ(宗麟の遠縁にあたる)を団長とする少年使節団がローマに派遣された。
宗麟は「南蛮貿易」にも熱心で,この地には「南蛮」の文化が早くから流入した。貿易港は「神宮寺浦」と呼ばれ,現在の春日神社の北,春日浦がその地に比定されて「神宮寺浦公園」(勢家町4丁目)が造られ,「南蛮貿易場跡」記念碑が建てられている。
大友家は宗麟の時に全盛となり北部九州を支配したが,島津氏に敗れてから急速に衰退した。
なお,大友宗麟が中国人だったとする説が古くにはあったようである。(『日本地理風俗大系13』<1930年,新光社>)
(大分市要町)
2002年6月8日,2007年3月26日