おおいた百景

大友宗麟像(大分市要町〈かなめまち〉)

大友宗麟像(遠景)
大分駅前の広場に建つ大友宗麟(おおともそうりん)の像は,富永直樹氏の作(1982年)である。
(2015年2月,大分駅周辺の整備に伴い,設置場所が少し移動した。台座がかなり低くなり,親近感が増したようである。)
宗麟すなわち大友義鎮(よししげ,1530−1587)は大友家の第二十一代当主。
父の義鑑(よしあき)を継いで豊後守護となり,九州北部の六か国を支配した戦国大名である。
大友宗麟像(全身)大友宗麟像(頭部)
宗麟はキリシタン大名としても知られ,洗礼名をドン・フランシスコという。1551年に,フランシスコ・ザビエルを招いて宣教活動をさせた。
大分の地でキリスト教信仰の盛んであったことは,のちイエズス会が日本に三つの教区を設定するさい,豊後一か国で単独の教区(豊後教区)を設置したことにもあらわれている。
1557年のクリスマスイブには,我が国ではじめて西洋音楽が演奏されたとされ, 遊歩公園には 西洋音楽発祥の地 の記念像もある。
1582年には伊東マンショ(宗麟の遠縁にあたる)を団長とする少年使節団がローマに派遣された。

宗麟は「南蛮貿易」にも熱心で,この地には「南蛮」の文化が早くから流入した。貿易港は「神宮寺浦」と呼ばれ,現在の春日神社の北,春日浦がその地に比定されて神宮寺浦公園が造られ,「南蛮貿易場阯」記念碑が建てられている。

大友家は宗麟の時に全盛となり北部九州を支配したが,島津氏に敗れてから急速に衰退した。
なお,大友宗麟が中国人だったとする説が古くにはあったようである。(『日本地理風俗大系13』<1930年,新光社>)


(旧)大友宗麟公像

大友宗麟像(遠景)
以前の像は台座が約4.6メートルで威圧感があったし,背が高すぎてかえって目立たなかった。
大友宗麟像(全身)

通称…エヴァ馬鹿!?の部屋による写真の盗用

大友宗麟像(正面)

(大分市要町)
2002.6.8, 2007.3.26, 2009.3.1, 2015.3.28


おおいた百景