おおいた百景

瀧廉太郎の終焉の地

瀧廉太郎の終焉の地
ドイツ留学中に病を得た廉太郎は,大分の父母の家に身を寄せた。療養むなしく明治三十六年(1903)6月29日,廉太郎はここで没した。
旧宅の跡は今遊歩公園となっており,標柱が建てられている。
ここから10分ほど歩いたところにある金池町の萬壽寺が廉太郎の墓所であった。
(平成二十三年〈2011〉,墓は日出町の龍泉寺に移された)。
(→参考:瀧廉太郎名曲選

瀧廉太郎の終焉の地の碑
(2008年の風景)

(大分市府内町)
2008.3.31, 2015.3.28


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