作曲:瀧廉太郎 (Rentaro TAKI, 1879-1903)
作詞:武島又次郎
演奏:niigata-u.com
(一) 春のうらゝの隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき おだやかに晴れた春の日の隅田川を のぼりくだりする船頭さんの 櫂の雫が桜吹雪のように飛び散る この眺めを何にたとえたものか |
(二) 見ずや あけぼの露浴びて われにもの言ふ櫻木を 見ずや 夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を ご覧,朝露を浴びて 私に語りかける桜を ご覧,夕暮れ時に手を伸ばして 私を呼ぶ柳を |
(三) 錦おりなす長堤に くるればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の ながめを何にたとふべき 錦模様に飾られた隅田川の土手に 日が暮れると登ってくるおぼろ月 ほんとうに「ひと時が千金の値打ち」という この眺めを何にたとえたものか |
1879年(明治12年)に「音楽取調掛」(のちに東京音楽学校,すなわち現在の東京芸術大学音楽学部)が設置され,西洋音楽の吸収と邦人音楽家の育成が期待された。しかしその成果としては,いわゆる「ヨナ抜き音階」を基調とした単旋律の唱歌が生み出された以外,見るべきものがなかった。そのような状況のもとに突然変異のように登場したのが,若き瀧廉太郎による歌曲集「四季」である。
曲集の「序文」に次のように言う(大意〈原文は文語体〉)。
近ごろ音楽は進歩発達し、歌曲も少なからず作られた。しかしその多くは音楽の普及を目的とした学校唱歌であり、程度の高いものは少ない。比較的程度の高いものは、西洋の歌曲に日本の歌詞を当てたものであり、単に歌詞の字数を合わせたにすぎないため、原曲の妙味を損なうものが多い。中には原曲のおもむきに合った歌詞が付いた例もあるが、所詮は一時しのぎの便法であろう。
私は力不足ではあるが、常々このことを残念に思っていたので、我が国独自の歌詞による歌曲をいくつか公開し、我が国の音楽の進歩に寄与したいと思う。
「四季」は,「花」「納涼」「月」「雪」の四曲からなり,1900年の夏ころ完成したと思われる。同年の11月に共益商社楽器店から出版された。四曲は,すべて形式を異にしており,瀧の旺盛な作曲意欲が感じられる。
「納涼」はピアノ伴奏付きの独唱曲,「月」は無伴奏混声四部合唱。「雪」は混声四部合唱にピアノとオルガンの伴奏が付くという異色の作品である。なお,「月」は瀧自身の歌詞によっている。
第一曲の「花」は,武島又次郎(1872-1967)の詞を用いたピアノ伴奏付きの二部合唱で,もちろんわが国最初の合唱曲である。イ長調,四分の二拍子,Allegro moderato。二部形式で,三節からなるが,三節とも伴奏と旋律が異なる。
旧態依然とした「ヨナ抜き調」を完全に脱しているが,しかしけっして西洋の模倣ではない。純粋な日本的情緒に貫かれた絶品である。
後世,盛んになる「歌曲の旋律は日本語(東京語)の高低アクセントに忠実であるべきだ」という安直な観念にも毒されていない。
我が国の近代音楽史上,屈指の名曲だと思うが,めったに演奏されないのは意外であるし,残念だ。
「四季」を世に問うた時,瀧は音楽学校の嘱託教師としてピアノを教え,ドイツへの留学も決定し,人生の絶頂期にあった。だが,この三年後に瀧はあっけなく病魔に屈した。