おおいた百景

(うらみ)

作曲:瀧廉太郎 (Rentaro TAKI, 1879-1903)
演奏:niigata-u.com

1901年(明治34年)の4月6日,瀧は横浜港からドイツ留学に出発した。ベルリンを経て6月にライプツィヒに入った。10月に王立音楽院を受験して合格したのもつかの間,11月末に風邪にかかって体調を崩し,12月に入院。結局,回復に至らず,翌年の8月に帰国の途についた。
帰国後,いったん東京の瀧大吉(廉太郎のいとこ)の家に寄寓するが,その11月,大吉が脳溢血で急死した(四十二歳)。
そのため廉太郎は父母の住む大分(現在の大分市府内町)に転居して療養することになった。
瀧廉太郎の終焉の地
(住居の跡の近くには朝倉文夫の 瀧廉太郎像 もある。)

「憾」は,大分市での病気療養中に作曲された。自筆譜に「Den 14 Februar 1903」の書き込みがある。瀧の絶筆で,彼はこの年の6月25日に死去した。
「憾」は,不安と焦燥と怒りの感情がそのまま吐き出されような激しい音楽である。大志を抱きながら不治の病に冒された瀧の心の内を思うと,とてもやりきれない作品である。
ニ短調,8分の6拍子,Allegro marcato,複合三部形式。短い,しかし激烈な終結部を伴う。

現存する瀧のピアノ曲は,この「憾」のほかに「メヌエット」(1900年)がある。


瀧廉太郎名曲選