大分神社探訪

宇佐神宮(宇佐市南宇佐〈みなみうさ〉)

宇佐神宮上宮
宇佐神宮(うさじんぐう)は,JR(日豊本線)宇佐駅の西南西3.5キロメートルの小倉山(小椋山)に鎮座する。全国の八幡系神社の総本社である。
神代に比賣大神が降臨したのを祀ったのが起源だと伝えるが,その本来の神格については不明な点が多い。(参考:八幡信仰とは?
『延喜式』(神名帳)の豊前国(六座)の内の「宇佐郡三座」として「八幡大菩薩宇佐宮」「比賣神社」「大帶姫廟神社」とある(いずれも「名神大社」)。この三座が現在の宇佐神宮である。
八幡大神は,初め現社地の西方1キロメートル,駅館川右岸の鷹居神社(宇佐市上田)に鎮座し,その後,南方約1キロメートルの小山田神社(宇佐市小向野)に移り,さらに神亀二年(725)に現在地に定まったと伝える。
やや遅れて比賣大神(宗像三女神ともされるが異説もある)が祭祀の対象に加わった。
神功皇后(大帯姫)が祀られるのは約百年後の弘仁十四年(823)とされている。
なお『延喜式』の記載では,神功皇后(大帯姫)に相当する社号にのみ「廟」とあり,その社殿の下には石棺があるとの伝承がある。

祭祀の形態が整う過程で,突然「宇佐神(八幡大神)は応神天皇である」という神託が下り,宇佐神宮は朝廷との結びつきを強めていった。
奈良東大寺の大仏建立(745年)のさいには,宇佐神が奈良に入って鋳造技術の問題を解決した。
大仏完成後は,東大寺の守護として平城京近くに手向山八幡宮が勧請された。
また,称徳天皇の時,皇位をうかがう道鏡(どうきょう)の野心をくじく神託が下った一件(769年)も有名である(→大尾神社)。
九世紀には豊後(大分市)の柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)に,さらに京都の岩清水八幡宮に,それぞれ分霊勧請して信仰拡大の地歩を築いた。

本殿(上宮)までは長い参道を進む。

(大分県宇佐市南宇佐2859)
2003.11.14, 2017.6.14, 2017.11.12
八幡総本宮 宇佐神宮(公式サイト)


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