轟神社は,JR(豊肥本線)中判田駅の南東500メートル,大野川の左岸に鎮座する。
集落の背後の丘の上に社殿がある。
かつて「轟権現」と称し,祭神は伊弉諾尊,伊弉冉尊,国狭槌尊である。
明治六年(1873)に村社となった。
明治十七年(1884)に戸無瀬の倉稲魂尊,豊田田中の軻遇槌命,光永の市杵島姫命を合祀し,同十八年(1885)には下光永(居村)の誉田別尊,片野の菅原神,大興寺の菅原の神,辰口の大己貴命,辻の原の大日孁尊を合祀した。
参道の途中に「明和九壬辰歳仲秋」(1772年)の鳥居がある。
参道が終わると,右手に社殿が建っている。
拝殿の背後に流造りの本殿がある。
拝殿前の狛犬は昭和十二年(1937)の奉納である。
境内に集められた石祠は合祀された神々にゆかりのものであろうか。
(大分県大分市大字下判田)
2010.2.14