大分神社探訪

廣山神社(宇佐市上庄〈かみしょう〉)

宇佐市上庄の廣山神社社頭
廣山神社(ひろやまじんじゃ)は,JR(日豊本線)天津駅の南東1キロメートルに鎮座する。
仁和三年(887)に宇佐八幡宮を勧請して創建した。当初は上時枝村糸口山(当社南方1.5キロメートル)に鎮座したようである。
『宇佐市史』(神社明細帳による?)は本社の祭神を「誉田別尊」とするが,境内に立つ「郷社廣山神社の由来」(石碑)は,宇佐神宮と同じ三柱(比売大神,誉田別尊,息長帯比女命)とする。
廣山荘の宗廟として社領八十町を有していたが,天正十年(1582)大友義鎮(大友宗麟)によって破壊され,さらに豊臣秀吉の島津征伐のおり,社領を没収された(1587)。その後,宝永三年(1706)に,上庄,下庄,上時枝の三か村によって現在地に再興された。明治五年(1872)には上庄,下庄,宮熊,敷田(四か村),冨山,大根川,清水,佐野,今仁,木部,赤尾(三か村),笠松の計十七か村(上時枝を加えると十八か村)の郷社となった。
大正二年(1913)に,大字下庄字本村鎮座の高龗神,闇龗神,闇御津羽女神を,大字下庄字浜の山鎮座の天照大神,素盞嗚命,猿田彦命,大己貴命および同所境内社の事代主命を合祀した。

宇佐市上庄の廣山神社門宇佐市上庄の廣山神社太鼓櫓宇佐市上庄の廣山神社舞殿
門をくぐると左手に太鼓櫓,右手に舞殿が建っている。
宇佐市上庄の廣山神社拝殿
横に長い拝殿が建っているが,門の正面ではなく,やや右である。
宇佐市上庄の廣山神社本殿
拝殿の背後に本社の本殿が建ち,両脇に境内社がある。
宇佐市上庄の廣山神社本殿宇佐市上庄の廣山神社本殿細部宇佐市上庄の廣山神社本殿細部
本殿の細部には細かい彫刻が施されている。

宇佐市上庄の廣山神社境内石祠宇佐市上庄の廣山神社境内社
本社の左側に四基の石祠と木造の境内社が並ぶ。右側にも境内社が建っている。
市史は境内社を七社記載し,うち須賀神社(素盞嗚命)と金刀比羅神社(天照皇大神,猿田彦命,素盞嗚命),妙見社(天御中主命)の三社が木造社殿だとする。しかし今,木造の境内社は二社しかなく,境内の「由来」も「摂社二社」とする。
蛭子社(蛭子神),大国社(大国主命),貴布禰社(高龗神,闇龗神,闇御津羽女神),天満社(菅原神)は石祠で,現状と一致する。

宇佐市上庄の廣山神社境内の国東塔
境内に国東塔が置かれている。十四世紀(南北朝末〜室町初期)の作とされる。

(大分県宇佐市大字上庄111番地)
2012.3.16


宇佐市の神社