大分神社探訪

俵積神社(豊後大野市朝地町綿田〈あさじまちわただ〉)

朝地町綿田の俵積神社社頭
俵積神社(たわらづみじんじゃ)は,JR(豊肥本線)朝地駅の北西4キロメートルの綿田地区に鎮座する。
町史によると,祭神は宇奈岐比古(ウナグヒコ)と宇奈岐比賣(ウナグヒメ)である。当社から28キロメートルほど離れた湯布院に延喜式内社の宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ)があるが,関係は不明。
由緒について,以下の伝承がある(『府縣郷社 明治神社誌料』下巻〈1912年〉に引く)。
景行天皇が当地に至った時,この地に小竹鹿奥(シヌカオク),小竹鹿臣(シヌカオミ)という土蜘蛛が居た。天皇が日子五柱と日女三柱の神を祀らせたところ土蜘蛛が逃走し,天皇はこれを追って俵積山麓に至った。土蜘蛛が降伏し,その地の百姓が戦勝をことほぎ,宇奈岐比古・比賣の織った木綿などを献上した。
天皇は二柱の神に幣帛を捧げ,その後,社殿を造営して祭祀した。
その後,天武天皇,順徳天皇が社殿を再建し,さらに建保六年(1218)には大友氏初代当主の大友直能(よしなお)が祠を再建して田地を寄進した。
天正年間(1573-91)の戦乱で廃絶したが,文禄三年(1594)に岡藩初代藩主となった中川秀成が土地を寄進したという。
明治五年(1872),郷社に列せられた。
朝地町綿田の俵積神社本殿朝地町綿田の俵積神社拝殿
拝殿の背後に大きな本殿が建っている。
朝地町綿田の俵積神社本殿脇障子朝地町綿田の俵積神社本殿朝地町綿田の俵積神社本殿尾垂木
本殿の細部の構造はたいへん立派なものである。

朝地町綿田の俵積神社境内朝地町綿田の俵積神社境内
境内の小祠は詳細不明。『明治神社誌料』は,境内神社として,午王社,天満社,山神社,金刀比良社を記録している。
朝地町綿田の俵積神社参道

(大分県豊後大野市朝地町綿田761)
2013.9.15


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