椎根津彦神社(しいねつひこじんじゃ)は,佐賀関の神山地区に南向きに鎮座する。
『日本書紀』(巻第三)によると,神武天皇東征の途中,速吸之門(はやすいのと)で珍彦(うずひこ)と名乗る漁師が迎え出て水先案内となった。珍彦は天皇より「椎根津彦」の名を賜り,倭国造に任ぜられたという。これを知った里人が小祠(珍宮)を建てたのが当社の発祥とされる。
慶長五年(1600)兵火によって社殿を焼失し,元禄三年(1690)に再建された。
明治六年(1873)に県社に列せられ,社号を椎根津彦神社とした。
祭神は椎根津彦命で,武位起命,稲姫命,祥持姫命,稚草根命を合祀している。
境内背後の丘の反対側には,当社と同じく神武東征にかかわる伝承を持つ早吸姫神社が鎮座する。
住宅の間に参道があり,鳥居をくぐって登った所に社殿がある。
コンクリート製の拝殿に,社号の額が掛かっている。
本殿は流造で,虹粱や脇障子に凝った彫刻が施されている。
境内に,稲荷社の社殿といくつかの石祠が並んでいる。
境内から佐賀関漁港を見下ろす。
(大分県大分市佐賀関)
2013.9.17