諸国神社めぐり

熱田神宮(名古屋市熱田区神宮〈じんぐう〉)

熱田神宮鳥居
熱田神宮(あつたじんぐう)は,名古屋駅の南南東5.5キロメートルに鎮座する。
当社は『延喜式』(神名帳)所載の「熱田神社」である。
三種の神器のひとつである「草薙神剣」を奉斎する神社として知られる。この剣は,素盞嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇を退治して得た宝剣である。瓊瓊杵命(ニニギノミコト,天照大神の孫)はこの剣を授かって天上から高千穂に降臨した。
景行天皇(第十二代)の時,日本武尊は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)からこの剣を授かって東征に赴いた。賊の火攻めから逃れるためにこの剣で周囲の草を伐り払ったので「草薙剣」と呼ばれることとなった。東征から戻った日本武尊はこの剣を尾張の宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)に預けて,伊吹の賊の討伐に向かったが,伊勢で病没した。そこで残された剣を熱田の地に祀ったのが当社の起源とされる。
この剣は天智天皇の七年(668)に盗まれたが後に戻り,宮中に置かれた。
天武天皇の朱鳥元年(686),天皇の病が重く,占ったところ「この剣を宮中に置いた祟り」と判明したので剣は熱田に戻されたという。
平安時代以降も広く崇敬を集め,神階が進み『延喜式』では「明神大」に列せられている。戦国時代を経ても,尾張ゆかりの信長,秀吉,家康によって保護され,江戸時代以降も幕府直轄で社殿の造営などがおこなわれた。
古くは「熱田社」「熱田神社」「熱田大明神」などと呼ばれたが,明治になると神器を収める神社として重視され「熱田神宮」と定められた。
明治四年(1871)に官幣大社に列せられた。

熱田神宮社殿
社殿は「尾張造り」と称されるこの地方に多い形式であったが,明治二十六年(1893)の改築の際,伊勢の神宮の「神明造り」に改められた。
昭和二十年(1945),戦火に罹り本宮はじめ多くの建物を失ったが,昭和三十年(1955)に皇大神宮の古正殿を譲り受けて再建した。
平成二十一年(2009)に屋根の葺替えなどの改修をおこなった。

境内は広く,別宮八剣宮日割御子神社孫別御子神社,御田神社ほか『延喜式』所載の古社も多い。

(愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1-1)
2021.4.20
熱田神宮(公式サイト)


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