凶首塚古墳(きょうしゅづかこふん)は,駅館川から宇佐神宮に至る「勅使道」とよばれる古道沿いにある。宇佐神宮の呉橋まで850メートルほどである。
養老四年(720),南九州の隼人(はやと)が大規模な反乱を起こし,その翌年,八幡神の神輿を奉じた朝廷軍によって鎮圧された。
戦地から持ち帰った隼人の首を埋めたのがこの古墳であると伝えられている。
現在は封土が完全に失われて石室が露出している。
伝承に反し,古墳は六世紀末のものと推定されており,隼人の乱よりはるか以前の造営である。
隼人の慰霊のために創建されたのが,80メートルほど東の百体神社であるという。
宇佐神宮に続く勅使道は,このあたりから下り坂になる。
(大分県宇佐市北宇佐)
2018.3.17