諸国神社めぐり

二荒山神社(日光市山内〈さんない〉)

日光二荒山神社鳥居
二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は,JR日光駅の北西2.5キロメートルに鎮座する。当社の東方100メートルに,東照宮の奥社と家康廟がある。
宇都宮の二荒山神社(宇都宮市馬場通り1丁目)と区別するために「日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)」とも呼ばれる。
『延喜式』(神名帳)所載の「二荒山神社」(下野國河内郡)とされるが,宇都宮の二荒山神社をそれに比定する見解もあり,結論を見ていない。

当社の西方約10キロメートルに聳える男体山(2,486m)は,その姿により太古からの信仰の対象であったと推測され,当社の起源も男体山信仰に発するであろう。しかし伝承や文献上では,当社は,勝道上人が神護景雲元年(767)に大谷川と稲荷川の合流するあたり(現在の本宮神社に近い場所)に一社を設けて大己貴命,田心姫命,味耜高彦根命を祀ったのを起源とするとされる。
その後,稲荷川の水災を避けるため,天長四年(827)にやや北方に移転し,さらに嘉祥三年(850),東照宮の「陽明門」脇あたりに遷座したとされる。
この時,故地にも社殿をあらためて設けてそれを「本宮」とし,味耜高彦根命を祀ることにしたという。これが現在の本宮神社である。
新宮,すなわち当社は,さらに建保三年(1215)現在地に遷された。
当社の北西900メートルに,弘仁十一年(820)に空海が創建したとされる瀧尾神社があるが,当社と本宮神社と瀧尾神社を合わせて「日光三社権現」として特に重んじられてきた。
日光二荒山神社神門
神門の向こうに拝殿が見える。
日光二荒山神社拝殿
現在の拝殿は正保二年(1645)頃の建築と考えられている。
日光二荒山神社本殿日光二荒山神社本殿
本殿(この時,修理中)は,元和五年(1619),東照宮の創建に合わせて建て替えられたもので,桃山時代の様式を残しているという。
なお,男体山山頂に奥宮が,登山口に中宮祠が,それぞれ鎮座する。

境内には多くの摂社・末社がある。(→二荒山神社の末社

(栃木県日光市山内2307)
2016.11.28


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