おおいた百景

聖フランシスコ・ザビエル像(大分市大手町〈おおてまち〉)

聖フランシスコ・ザビエル像全景
ザビエルの像は,大分市の府内城の南,遊歩公園の北の入り口に建つ(1969年,佐藤忠良の作品)。
フランシスコ・ザビエル(1506-1552)はイエズス会創立者のひとりである。
天文16年(1547)ザビエルはマラッカで日本人ヤジローと出会い,日本に行くことを決意した。
二年後,ザビエル一行は鹿児島に到着し,布教活動を許された(すなわち日本へのキリスト教伝来)。
この後,ザビエルらは平戸・博多を経て京都に至るが,天皇や将軍との会見はできなかった。
一行は引き返し,山口を経由して大分に入った。大分では天文二十年(1551)の9月に大友宗麟と会見し,インドへ帰った。
帰国するザビエルの一行には,4人の日本人が同行し,このうちベルナルドとマテオの2人はゴアの神学校に入学した。すなわち日本初の海外留学である。課程を修了したベルナルドはヨーロッパにまで渡った(マテオはゴアで病没)。

フランシスコ・ザビエル像ザビエル像頭部
(→大分上野丘高校12期会福岡支部による写真の盗用
聖フランシスコ・ザビエル像上半身聖フランシスコ・ザビエル像頭部
ザビエルの大分滞在は短期間であったが,これをきっかけに,この地には宣教師がしばしば訪れることになり,大分には早くから西洋の音楽や医術などがもたらされることになった。(→西洋音楽発祥の記念像西洋外科手術発祥記念像
キリスト教布教の重要拠点となった大分は,天正少年使節のリーダー伊東マンシヨや,日本人としてはじめてエルサレムに入り,ローマに渡って司祭となったペトロ岐部らを輩出した。

今,大分市民は,遊歩公園の入り口に建つこのブロンズ像と,銘菓「ざびえる」(→ざびえる本舗によってフランシスコ・ザビエルの遺徳をしのんでいる。
(また大分では「ペトロ岐部」と「ドン・フランシスコ(大友宗麟)」も饅頭になって売られている。)

新しいザビエル像

2015年3月,大分駅の整備に伴って新しいザビエル像が登場した。
大分駅前の新しいザビエル像(雨宮透)大分駅前の新しいザビエル像(頭部)
ザビエルは少し若返ったようである。
ところが,作品の完成度に不満を感じた制作者により,2015年12月20日,再鋳造して交換された。
交換前の大分駅前のザビエル像(雨宮透)交換前の大分駅前のザビエル像(頭部)
交換前の像(色合いなどに不満があったというが,一般人の目にはほとんど違いがわからない)。

(大分市大手公園前,大分駅から徒歩10分)
2002.7.10, 2010.2.15, 2014.3.28日, 2015.4.1, 2016.7.12


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